
昭和59年には、こんなできごとがありました。
・グリコ・森永事件
・写真週刊誌「FRIDAY」創刊
【昭和59年の流行語】
第1回新語・流行語大賞を表彰
新語部門 - 金賞:「オシンドローム」(米雑誌『タイム』)、
銀賞:「鈴虫発言」(当時首相中曽根康弘)、
銅賞:「スキゾ・パラノ」(浅田彰)、
特別賞:「特殊浴場」
流行語部門 - 「まるきん まるび」(渡辺和博著『金魂巻』)、
銀賞:「くれない族」(TBSドラマ)、
銅賞:「疑惑」(『週刊文春』)、
特別賞:「千円パック」(森永製菓)、
大衆賞:「す・ご・い・で・す・ネッ」(所ジョージ)、
「教官!」(TBSスチュワーデス物語)
【グリコ・森永事件】
グリコ・森永事件(グリコ・もりながじけん)は、
食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件である。
警察庁広域重要指定第114号事件。
グリコ・森永脅迫事件、または、かい人21面相事件などとも呼ぶ。
1984年(昭和59年)3月18日午後9時30分頃、
江崎グリコの江崎勝久社長が兵庫県西宮市の自宅(当時)で入浴中、
侵入してきた犯行グループの男3人に全裸のまま誘拐され、
身代金10億円と金塊100kgをヘリコプターからばら撒けと要求された。
江崎社長は、3日後の3月21日午後2時30分ごろ警察に保護された。
大阪府摂津市の新幹線車両基地近くを流れる、
安威川沿いにある治水組合の作業小屋から、自力で抜け出したとされる。
事件は収まったかのように思われたが、4月7日になって犯人グループは、
「かい人21面相」名で「けいさつの あほども え」との書き出しで始まる、
和文タイプライターで記された脅迫状を新聞社に送りつけてきた。
文面には「青酸ソーダ(シアン化ナトリウム)入りのグリコ製品を置いた」とあり、
その予告どおり、江崎社長の自宅がある(当時)兵庫県西宮市内のコンビニから
「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」と関西弁で書かれた紙が
張られた菓子が発見され、実際にシアン化ナトリウムが検出された。
防犯カメラに犯人とおぼしき男(野球帽の男)が映っていた為、
警察はその男の写真を公開、幅広く情報収集に乗り出したが、
有力な手がかりは無かった。
その後、かい人21面相と書かれた脅迫状が丸大食品、森永製菓、ハウス食品、
不二家、駿河屋に次々と送りつけられ現金を要求。
江崎グリコに対する休戦宣言の裏で、丸大食品を脅迫したが実際失敗している。
9月18日には森永製菓に脅迫状が送りつけられ、
2ヵ月後の11月14日にはハウス食品に脅迫状が届いた。
ハウス食品は犯人の指示どおり車に1億円を積み名神高速道路の
指定された大津パーキングエリア内で待機していたとき、
以前から犯人グループの一人と目されていた「キツネ目の男」が
一般道から進入できるパーキングエリアで複数回目撃されている。
また、同時間帯に警邏中の滋賀県警の警察官が不審者の乗った自動車を発見した。
地元の人しか知らないと言われている高速道路と一般道が交差する場所であり、
エンジンをかけてヘッドライトは消している状態であった。
警察官が職務質問をしようと近づくとその車は急発進し、
市街地へと巧みなテクニックで逃走した。
その後の捜査で、車が停まっていた頭上の高速道路には
白い布がフェンスに巻き付けられており、
不審車の存在を考えると現金の投下場所であった可能性が高いと報道された。
また、この際使用された逃走車から特殊な工場廃棄物が発見されている。
この逃亡事件に関わった滋賀県警は、
一連のグリコ森永事件の広域捜査には参加しておらず、
またこの捜査に関する情報ももたらされていなかったことから
犯人グループにその点を利用されたものと思われる。
その後、マスコミによる滋賀県警批判や、
結果的に重要事案の被疑者を取り逃がした可能性が高い点を
警察内からも問題視されたことから、
当時の滋賀県警本部長が焼身自殺する。
翌年の1985年の新年早々、前年の12月に犯人グループが
「不二家」を脅迫していた事実を新聞が公表し、不二家脅迫が発覚。
2月には「駿河屋」にも届くなど、食品業界の狼狽は続いた。
1985年8月12日、犯人側から
「もうゆるしたろ、くいもんの 会社 いびるの もお やめや…悪党人生 おもろいで」
との終息宣言が送りつけられた。
その後完全に犯人の動きがなくなり、2000年に時効となった。
犯人(かい人21面相こと、キツネ目の男たち)の正体及び動機は不明のままである。
【管理人の昭和59年】
ロサンゼルス・オリンピックが開催された昭和59年、
管理人は高校1年生でした。
当時ファミコンが流行っており、管理人は麻雀も
ファミコンで覚えました(^^;)
エリマキトカゲ大流行していたが、どこが可愛いのかよくわからなかった。
管理人は、喫茶店でアルバイトを始めるが、時給は600円くらいであった。

