
昭和46年には、こんなできごとがありました。
・沖縄返還協定調印式
・カップヌードル発売
【昭和46年の音楽】
ザ・タイガース解散。沢田研二がソロ歌手に転向。
また逢う日まで(尾崎紀世彦)
知床旅情(加藤登紀子)
傷だらけの人生(鶴田浩二)
よこはま・たそがれ(五木ひろし)
ナオミの夢(ヘドバとダビデ)
花嫁(はしだのりひことクライマックス)
雨のバラード(湯原昌幸)
さらば恋人(堺正章)
恋人もいないのに(シモンズ)
空に太陽がある限り(にしきのあきら)
戦争を知らない子供達(ジローズ)
地球はひとつ(フォーリーブス)
真夏の出来事(平山三紀)
お世話になりました(井上順)
さらば涙と言おう(森田健作)
メリー・ジェーン(つのだひろ)
あの素晴らしい愛をもう一度(加藤和彦と北山修)
アイドル歌手全盛時代の先駆けとして、新三人娘が揃ってデビュー。
水色の恋(天地真理)
わたしの城下町(小柳ルミ子)
17才(南沙織)
【昭和46年の映画】
ゴジラ対へドラ
ガメラ対深海怪獣ジグラ
新・猿の惑星
屋根の上のバイオリン弾き
「007 ダイヤモンドは永遠に」
【沖縄返還協定調印式】
日本の佐藤栄作政権は、1970年(昭和45)に予定される安保延長と共に、沖縄の本土復帰を緊急の外交課題とした。このため、70年安保延長反対を唱える日本社会党や日本共産党は、安保と同列の沖縄返還論に反発し、新左翼や学生運動、各種労働組合までも反安保、反返還の一大運動を日本国内で繰り広げた。しかし、これらは沖縄県民の運動とはほとんど結びつかず、県民の真意を汲み取ることにはならなかった。
1970年(昭和45)12月20日未明、沖縄本島中部のコザ市(現・沖縄市)で、米軍兵士が連続して起こした2件の交通事故を契機にコザ暴動が発生した。常日頃から米軍兵士が優遇され沖縄住民が不当に差別されたことに対するコザ市民の怒りが表面化したもので、これ以上沖縄をアメリカ軍政下に置くことは適当でないと内外に知らしめた。アメリカ政府にとっては、日頃温厚な琉球の人々が暴動をおこした事は大変ショックを受けた。
1969年(昭和44)の日米首脳会談では、アメリカ大統領ニクソンが沖縄返還を約束した。屋良朝苗や復帰賛成派の県民は日本復帰と同時に米軍基地の全面返還を望んだが、米軍基地を維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の返還とされ、佐藤はニクソンとの取り決めで、非核三原則の拡大解釈や核兵器持ち込みに関する秘密協定など、アメリカの利益を最大限尊重した。1972年(昭和47)5月15日に琉球政府は沖縄県となり、沖縄は日本へ復帰した。
【管理人の昭和46年】
管理人3歳。
この年の9月に下の弟が生まれる。
弟が生まれたときのことはぼんやりおぼえているが、
とにかく小さい赤ちゃんが家にきたなあという印象。
母は上の弟と下の弟の世話で忙しく、
管理人はあまり手のかからないひとりで遊ぶのが好きな子供であった。
テレビでよく見る天地真理の物まねが得意で
よく歌っていたらしい。

