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昭和42年

昭和42年の歴史



昭和42年には、こんなできごとがありました。

・佐藤首相、非核3原則言明

・四日市ぜんそく訴訟



【昭和42年の音楽】

グループサウンズ(GS)が1967年から1968年にかけて大流行した。
ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ザ・スパイダース等をグループサウンズと呼び始めたのは1967年3月からだという説がある。

美空ひばり「真赤な太陽」・・・グループサウンズ系の曲
佐良直美 「世界は二人のために」
ジャッキー吉川とブルーコメッツ 「ブルー・シャトー」
森山良子 「この広い野原いっぱい」
ザ・ピーナッツ 「恋のフーガ」
ダーク・ダックス 「銀色の道」
石原裕次郎 「夜霧よ今夜も有難う」
中村晃子 「虹色の湖」
奥村チヨ 「北国の青い空」


【昭和42年の映画】


怪獣島の決戦 ゴジラの息子
大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス
007は二度死ぬ[英]
華麗なる賭け



【四日市ぜんそく訴訟 】

四日市ぜんそく(よっかいち-)は、三重県四日市市で1960年から1972年にかけて発生した大気汚染による集団喘息障害である。

四大公害病の一つ。
原因は、四日市市で四日市第1コンビナートが操業を始めた事により排出された硫黄酸化物(SOx)による大気汚染。

症状は、息苦しくて、喉が痛み、激しい喘息の発作が起こる。

四日市市は公害病と認定した市民に対し、市費で治療費を補償する制度を1965年に開始。当時は国側にも公害患者を公費で救済する制度はなく、市の試みは全国初だった。認定患者の数は同年5月に行われた第一回の審査の時は18人だったが、1967年6月末には381人、1970年9月末には544人と急増。患者の増加に市だけでは治療費を負担できなくなり、国や企業も分担金を出すようになった。

四日市の大気汚染を改善したのは、実は高煙突ではなく、脱硫装置の普及、より硫黄分の少ない原油への切り替えだった。この2つは硫黄酸化物削減法としては、当時最も効果的であった。国と企業は硫黄分の少ない原油の輸入を増やすと同時に脱硫装置の開発を研究した。四日市コンビナートでは、 1969年に大協石油(現・コスモ石油)が初めて設置し、効果を上げた。

このような脱硫対策が実現した背景には、硫黄が鉱山で採掘するよりも安価で手に入るという事情があった。これが実現するとともに硫黄鉱石の需要がなくなり、日本の硫黄鉱山は1960年代以降に閉山へと追い込まれたのであった。


【管理人の昭和42年】

母が、第1子である管理人を妊娠。
その前に1度流産していたのでこのときは慎重にしていたという。

つわりがひどく、20世紀梨ばかり食べていたそうです。

父は、生命保険会社に就職し、2年目。
月給は2~3万円だったそうです。

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管理人のtomoです。
父のコレクションだった10円玉と一緒に昭和の歴史をふり返ってみました。 ちなみに私は、学生時代は歴史は苦手でした(^^;)
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